<2011年12月29日(木)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>
季刊遠近第44号読後感(2011.12.29)北大井卓午
【「ノアの孤独」難波田節子】
最初からトリビシ、アララト山といった聞きなれない言葉が出てきてちょっとまごつく。アルメニアも新聞などで見る程度で浅い知識しかない。聖書やノアの箱舟についての知識もほとんどない。こういった乏しい知識しか持ち合わせていない私のような読者でも、楽しく読める。作者の力量だろう。
村井は商社勤めでワインの担当をしているが、現在年連れ添った妻と離婚訴訟中である。妻は子宮の奇形で子供を産めないのだが、ある宗教から原因は夫の罪による罰だといわれ、夫の入信を勧められる。村井は妻の悩みも分かるが、不妊で神経が壊れていく妻を煩わしくなってしまった。
出張でトリビシ営業所に来た村井は、日程の調整ができ、アルメニア経由で帰ることにした。前回の出張で親切にしてくれたマシーとアララト山を一緒に見る機会を持つためである。マシーはアルメリア人で日本語と英語ができる数少ないガイドで、村井はマシーと一緒だと心が何となくときめく感じになる。グルジアの現地所長の秘書のニノが紹介してくれたという経緯もある。そのニノにアルメリアの国境まで送ってもらう。ニノとマシーは愛知万博のコーカサス館で一緒に働いていたという。アルメニアまで送って貰う車の中で、ニノとマシーが日本で初めて生活した時の習慣、文化の違いに驚いた話などを聞く。
久しぶりに会ったマシーは元気そうだったが、少しやせた感じだった。作品は、マシーとの会話の中でノアの箱舟の話などが出てくる。作者の勉強した部分だろう。一般に、作者が勉強した知識を作品の中に未消化のままたくさん書きこまれると読むのが億劫になるが、この作品ではあまり嫌味が感じられない。
マシーには日本に婚約者がいるのだが、婚約者は、東日本地震で両親と兄夫婦を一度に亡くし、今はその兄夫婦の子供3人と避難所で暮らしているという。そういう状態なので結婚を諦めることにしたらしい。一方、マシーにも高齢の父と脳に障害がある弟がいるという。
村井はマシーに、兄夫婦の子供がもう少し大きくなったら、彼もこちらに移住してアルメニアにこれるかもしれないので待ちなさいというと、マシーもそうすると答える。
全体の中でノアの箱舟の話が大きな比重を占めているが、今までこういった作品は読んだことがなかったので、面白く読めた。アルメニア人の生活習慣の中にノアの箱舟の話が本当にマシーと同じように入っているのかは知らないが、ノアに箱舟の話を中心に置き、東日本地震を洪水とダブらせたのはいい発想といっていい。私もインターネットでノアの箱舟を調べてみて、いろいろなことを勉強した。この作品の合評会に出席できなかったので、作者がどのような動機で書いたのか聞きそびれたが、東北地震のような巨大災害は必ず起きるという警鐘を含めて作品を読んだ。なお、箱舟の建造を命じられたのは、ノアが500~600歳であるといったことや現在でもタンカーなどの大型船の長さ、幅、高さは箱舟と同じ、30:5:3であることなどを考えると、近所の人や家族の思惑を現代の感覚で書く必要はなかったのではないか。技術のレベルの高さに触れてほしかった。
【「百日紅」安西昌原】
父緑川浩二の一番下の妹の通夜に出席し、父の一番上の兄緑川叔郎の次女の啓子に会う。啓子の住まいが私と私鉄の沿線なので通夜、葬儀とも一緒に帰り、昔話をしたため、電車の乗車時間があまり苦にならなかった。
啓子の父緑川叔郎は化学工場を経営しており、昭和10年ごろから池上線の沿線に門先に見事な百日紅の木がある家に住んでいた。私たち家族は疎開先の前橋から、昭和22年夏から2年ほどその家に移り一緒に住むことになった。一家4人に与えられた部屋は2階の板の間付きの6畳間である。便所は共同だったが、台所は別で、使用を許されたのは井戸小屋でそこに七輪を置いて炊事、洗濯をすることになった。伯父の家族は伯父叔郎、妻郁子、長女陽子、次女啓子、長男昭、三女順子などで、私の家族はほかに弟悟がいる。
私は啓子との会話で60年前のことを思い出し、釣りやキャッチボールの話をし、また、母の炊事が大変だったことなど恨みめいた話をしたが、啓子は昔をよく覚えていないと言い訳じみた口調で笑う。翌日の告別式の帰りの電車の中で、啓子は2人の母親同士が仲の悪かったことに触れた。その時不意にキャッチボールで私は昭の頭にボールを当て、大騒ぎになったことを思い出す。
このことがあってから共同生活の弊害を悟り、引っ越すことになる。
エッセー風の作品で、誰もが、窮乏生活の中で共同して生きてきた戦後の辛さ、厳しさを書いており、作者と同年代の私には懐かしく読むことが出来た。しかし小説として読むと、ストーリーの中に入り込みにくい。小説としては、私はあまり評価しない。
【「どんどん橋」欅館弘二】
作品は、最初から主人公の麦彦が新宿御苑の満天の星空の下で葉子と抱き合うところから始まる。葉子は、麦彦より4歳年上で池袋のアパートで12歳上の原田(作曲編曲作家でバンドマン)と暮らしている。葉子の父親は官選知事をし、その後国会議員になる。保守党の大物議員といわれている。葉子の母親は赤坂の芸者だったが、終戦の翌年病気で死ぬ。葉子は父親の蔭、ひなたの援護を受けて成長していくが、父に抱かれるようになる。
いろいろ葉子のこと、葉子の父こと、原田などのことを書いているが、何を書こうとしているのかよく分からなかった。主人公が麦彦なのか、葉子なのかも分からなくなってしまった。もう少し書きたいことを整理して書くと面白い作品になったと思う。ちょっと残念だ。
【「口笛を吹いて大くじをくった」北村幹子】
エッセーとして書いたのか、小説として書いたのかよく分からないが、小説の部分に掲載されているので小説として読む。
昭和27年中学3年生の2学期が終わったときに、私が転校するところから物語が始まる。山口市の湯田中学に転校した。それまでは萩市からバスで1時間ほど奥の吉部村中学に在籍していた。その中学で2年のころから左翼かぶれになったこと、そして世界、中央公論、改造などを読み漁ったことなどが書かれている。湯田中学で、優等生総代にに選ばれ、また、県立山口高校に進学する。高校ではどの部に入って部活動をするか迷った。演劇部、新聞部、美術部などどの部にも魅力があったが、最後に決めたのは文芸部だった。また、校外のミール合唱団に姉と2人で入った。そこにはM青年がいた。そのM青年は党員らしい。その他高校時代にあまり勉強はしなかったが、試験の結果はよかったといったことが書いてある。高校を卒業後に徳山市に移ったが、就職試験は終わっていが、叔母の紹介で小学校の事務職に応募し、抜群の成績で合格する。
ストーリーは自分史的で小説のように山場はない。小説であれば、学業の優秀さをひけらかすような書き方を止めて、読者が主人公に感情移入できるようなストーリーにしたほうがよかったのではないだろうか。自分史であれば、読者に読ませることを意識して書くといいと思う。
【「村暮らし」花島真樹子】
友子、良男、ゆきさん(春野ゆき)の3人が登場人物の作品であるが、3人の背景がよく分かるように書いてあり、最後まで面白く読めた。
友子は、3月11日の地震で、住んでいたU市の借家が見た目には分からないが、少し傾き、生活していると気分が悪くなる状態になった。引っ越そうと思い、不動産屋に行き、奥秩父の荒川沿いの小さな村の村名をいい、空き家がないか調べてもらうと、直ぐに見つかる。15年前に女4人でドライブ旅行をしたところで、不動産屋から渡された資料では、当時と変わっていない。2週間後にそこに行く。ローカル線の終点から20分ほどなので、歩いていく途中の道路脇の菜園で草むしりをしている老婆に声をかけると、家主となるゆきさんだった。家は、以前老夫婦と娘夫婦が住んでいた同一敷地に建つ2軒の家で、それぞれ独立しており、老夫婦が亡くなり売りに出されたものを、ゆきさんが5年ほど前に購入したという。老夫婦が住んでいたところにゆきさんが住み、娘夫婦が住んでいたところを貸すのだという。ゆきさんとの会話の中で「人間は所詮エトランジエールさ・・」といったゆきさんの言葉に彼女のインテリジェンスを感じ、直ぐに借りる決心をする。
2年ほど同棲している良男に、家を探す際にこの村の話をすると、そんなところから通勤できなと反対されたが、実家に戻り、週末だけ来ればいいということで押し切る。
ゆきさんは高校の教師だったが、狭い田舎が嫌で、夫と8歳の娘を置いて同僚と東京に逃げたという。結局男に捨てられ、塾の講師などをして生きてきたと話してくれた。
友子も小学校5年の時に母親が病死し、直ぐに父親が再婚したが、新しい母親に馴染めず、高校の時から下宿生活をしたという過去を引き摺っており、2年も一緒に暮らしている良男と結婚に踏み切れないといった臆病さを持っている。
ストーリーに大きな山のようなものはないが、人間の生き方を考えさせられる何かを感じさせてくれた作品だった。これからもこのような作品を期待したい。