胡壷・KOKO 11号
感想が遅くなりました。
「渓と釣りを巡る短編Ⅲ 隠れ沢」桑村勝史
これまで黙っていたが、この作者の渓流釣り小説をひそかに愛読してきている。
小説というのは人間を描くものだと思っている者から見ると、この「渓と釣りを巡る短編」では、渓流や岩魚や滝つぼやらの自然を描くことに精力が費やされていて、人間はその背景のように書かれている。最初はそのことに違和感を感じていた。
しかし、小説が必ずしも人間のみに焦点を合わせる必要はない。人間も岩魚も渓流も滝つぼも民宿のおじさんも、存在としては等価なのである。むしろ人間描写だけに囚われずに存在するものを並べて描こうとする作者の姿勢をよしとし、渓流のせせらぎ、岩魚の魚影を楽しめばよいのだと気づいた。この作者の才能は狭い視野の中に見える人間を描くことより、世界全体として、あるいはその一部としての渓流や釣りをみごとに描くことにあった。と、今回の「Ⅲ」でようやく思い知った。
「女子会をいたしましょう」 ひわきゆりこ
日帰りバスツアーで知り合った、珠代、萌絵、私の三人が、その後集まって食事会をする、すなわち「女子会」をする様子が描かれている。その内容自体はいかにも現代風でよくある話になってしまうのだが、この作品の語り手というか視点となっている「私」だけでなく、珠代、萌絵の個性や生の来歴、そして今後をもきちんと提示するように描かれており、それがこの小説をしっかりと支えている。三人はもう多分二度と「女子会」で会うことはないだろうし、それぞれが個々の生を生きてゆく。
先に評した桑村さんは、渓流や岩魚を描写することで逆に人間とは何か考えさせる。ひわきさんはその反対で人間そのものに視点を置いて直截的に描こうとしている。それも肯定的視点からである。

