2012年1月14日

「文芸中部」88号(東海市)

2012年1月14日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 東日本大震災によって、文芸の世界ではそれをどう表現するかが、話題にされる。それは当然でもあるが、もっと重要なのは大災害を体験したひとはもとより、それを見聞した読者の読み方がどう変わるかであろう。読む側の意識変化が書き手の表現への感受性や評価を変えることは充分考えられる。
【「青空」西澤しのぶ】
 長いイスラエル勤務の夫をもつ主人公(私)は、息子をパレスチナに近いイスラエルで産んでいる。そこで新しい生命である子供に対する地元の深い愛情と思い入れを知る。そのなかで、人々が宗教、人種、領土などでの、緊張関係を感じさせる説明がある。
 日本に行って戻ってきる途中に、私はパリに泊まる。すると、アラブ人のヘジャブ姿の女性に出会う。お腹が大きいように見える。
 この描き方で、大変な緊張感をもたす。テロリストのある典型的な様相でもあるからだ。
 私は、思い切って彼女に声をかける。私がイスラエルとパレスチナの地域に詳しく、共通の知り合いの医師がいるとわかると、アラブの女はそこで身の上話をする。
 彼女にはイスラエル人の恋人とも親友とも言える友達ができ、彼はパレスチナ人との話し合いによる問題解決を考える思想家であった。紛争が起きると、彼女にイスラエル側からの攻撃があることを知らせ、避難するように連絡をしてくる。
 そこで、戦火のなかで日々明日を知れ命がけの毎日を送ることが語られる。恐怖と隣あわせの日々が臨場感をもって、よく表現されている。
 この砲撃を受ける様子の描写は、まるでハリウッド戦争映画かハードボイルド小説のようなスリルを与えるように思わせる。しかし、自然災害の暴力的な被害を知ると、それより自然な感じで、身に迫って読ませる。
 小説としては、もっと工夫があっても良いとは思わせながら、書くべきことを書いたという作者の達成感もよく伝わってくる。この明日をも知れぬ日々の感覚は、自然災害の大地震の余震と次の原発事故の発生の予感におびえて暮らす生活と比較させられる。かつて平和と思い込んで暮していた読者側の読み方を変えるものがあるのではないか。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。

2012年1月11日

「季刊遠近」44号(東京)

2012年1月 9日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 「季刊遠近」は、同人誌評やネットでも論評されることが多い。水準の安定した同人誌である。最近は本誌の常連でもある純文学作家の難波田節子さんの著書「遠来の客」が図書館の蔵書に並んでいるのを目にした。最近の図書館は、なかなか購入しないともきく。水墨画や禅僧などの絵画などで、日本には趣味を職業としない伝統もある。ひとつの作家活動の成果であろう。
【「百日紅」安西昌原】
 本作品は、個人的に我が身のことに想いが浮かぶところのあった作品。父親の一番下の妹が亡くなって、埼玉県の武蔵浦和に通夜と告別式に通う。この時代の様子が語られる。どいて葬儀会館へのその道中の順序がくわしく書いてある。新宿から埼京線で段取り良く行けば、一日目のように順調で、なんということもないのだが、湘南高崎線に乗ったためにあれこれ乗換えに手間がかかり、遅刻しそうになる。自分も3、4年前に赤羽乗換えで、段取りが悪く目的地に到着するのに苦労することがあったので、やはりそうか、と感じた。最近はさらに主要各駅の乗り気改築の変化の激しさに戸惑うことが多いことに思い当った。この交通の乗換え話が丁寧に描かれていることが、寓意に近い意味を感じさせる。同時に、語り口全体で、言うにいえぬ喪失感が流れているようで、しんみりと読める。子供のころ昭という親戚の子と野球をしていて、手元が狂い、頭にボールをぶつけてしまうエピソードがある。省略した書き方に哀歓と郷愁をかきたてるものがある。この何ともいえぬものの表現は、修練による文芸力のような気がする。
【「どんどん橋」欅館弘二】
 麦彦という男が学生時代に、葉子という男関係で奔放な女性との交流から始まる。葉子の身の上話の中に父親との情交を語る話になる。それがいつの間にか葉子が同人雑誌に書き残した小説を転載した話になり、定石はずしの違和感のある作品。首をかしげてしまう視点の変調がある。終りのメモに、参考文献として昭和41年~42年・同人雑誌「えぬ・あーる」2号・3号、(故)松本光代「狂気への道」とある。
 ということは、松本光代という人の作品に刺激されて、この作品ができたということなのだろうか。内容そのものは、近親相姦を軸に、人間の個人愛と情欲、人間の普遍的な人間愛の芯にあるものについて心に触れるものがある。全体はわからないまま、言うにいえぬところを表現していて、文芸の雰囲気に包まれたものがあるので、印象に残った。

2012年1月 3日

小説と評論「カプリチオ」2011年冬36号(東京)

2012年1月 2日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【特集「いまだからこそ再会したい夏目漱石」】
 夏目漱石の課題にした人間性へのテーマは、いまだに解決の糸口が見えないと思っている自分には実にタイムリーな特集に思える。深く読み解く力不足の自分の知らないことが沢山盛りこまれている。
 7人の筆者がそれぞれの視点から論じているので、多彩な解釈が集まった。
「漱石の不愉快」(鈴木重生)は、漱石の書き物もの中から不愉快という語をチョイスし、その元が英国留学での西欧と日本の精神的な構造の違い、孤立した精神環境、日本の文学的な環境、国家主義への不快であること示す。
「オフェリアの気韻」(荻悦子)は、草枕に見る漱石で、文章藝術的な志向による実験的なものと指摘する。文学者なら一度は試みることかも知れない。わたしは中学生時代に先生によむことを宿題にされたのが「草枕」である。当時、ホームズ、ルパン、明智小五郎の探偵小説を読み漁っていたので、その内容に面食らった記憶を残す。
「『草枕』―俳句と小説の間―」(芦野信二)、「輪廻のど真ん中で直立する漱石」(塚田吉昭)など、それぞれ読み応えがある。特に「地下生活者としての夏目漱石」(草原克芳)は、漱石の人間完成への希求精神が、現代のニヒリズムの横行によってすでに過去のものとされているのか、という問題意識を呼び起こすものがある。

2011年12月30日

「照葉樹」11号(福岡市中央区)

<2011年12月30日(金)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>
北大井卓午筆

【「錯綜」水木怜】
 ストーリーは簡単だ。なつみは、高校を中退しバイトで入ったK書店でまじめな仕事ぶりが認められて本採用になり、同期で入社した大卒の圭吾にバス乗り場で発作(過換気)に襲われたとき助けて貰う。親切な圭吾をなつみは好きになり、アパートに行き料理を作るまでになる。会社でも圭吾を好きだということを表に出しており、同僚の噂にもなっている。その圭吾が結婚するという噂が広まるが、相手は自分ではなかった。圭吾は結婚すると住所も変えてしまう。
 なつみは高校のころ荒木という1年先輩の男子を好きになる。切っ掛けは、下校途中雨に濡れて歩いているときに傘を貸してくれたことである。その後家を突き止め、バレンタインチョコを郵便受けに入れに行ったときに、数人の女子学生から、荒木が奈津美のことを気持ち悪いといっていると聞かされる。そのショックで過換気症候群になる。なつみは結局転校し叔母の家に住むことになるが、その叔母の家も高校を中退して家を飛び出してしまう。
 一方、圭吾は順調に出世し、先輩を飛び越して店長になる。先輩である高見沢繁が、偶然会ったような感じでなつみに声をかける。一緒に飲もうといってなつみを誘い、呼ぶときもシゲルといってという。その日酔ってなつみのアパートで関係を持つ。しかし、シゲルは自分を追い越した圭吾を追い落とすためになつみを利用したのだった。
 以上のようなストーリーだが、この作品の凄いのは、なつみの性格描写なのだ。このような女性が実際にいるかどうかは知らないが、ストーカーなどはこういった性格の人がなるではないかと思わされるほど、リアリティがある。作者がここで書きたかったことは常識を外れた性格を持った人のことをその人の側に立ってみることだろうと推測した。作品では最後になつみは新しい世界に移っていくようになっているが、実際はそう簡単ではないかもしれない。これからもこういった世界のことも書いて読ませていただきたいと思う。

彩雲」4号(浜松市)

2011年12月30日 (金)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

 今回紹介のものは、どれも生活日誌的なもので、普通は文芸的な要素というのは薄らぐのだが、高齢者の先行きの見えてきた人生からの視点が冴える。それがなにか普通のことを普通でない貴重な光景にまで高めて読ませる効果がある。
 大きな未来をかかえた若者には、現在を追いかけるのに忙しく、つまらないようなことでもそれが大切に思える。多くの読者を得る大衆文学の素因はここにはないが、どこかに一人の読者の心をとらえ共感者がいればよいのだな、と思わせる。
【「つづくだのぉほか」村伊作】
 70歳を過ぎて積み重ねてきた歳月を背景にエピソードをつづる。寺の檀家の総会で久しぶりに同じ時代を同じ土地で過ごしてきた者同士が、腹蔵なく語り合う。すべて語り尽くしあうには、同じ歳月がかかるであろう。「わしらの付き合いは、ずうっと、ずうっと、つづくだのぉ」という表現が過ごしてきた人生が、素晴らしい輝きで照り映えていることを知らされるのだ。
 甲斐という主人公がたどる、昔の面影の残る風景、あとかたもない風景などが妙に幻想的で、時間の演出するマジックとして、風景描写がよく活きて目に浮かぶ。土着的な言葉づかいが温かい味わいのある物語に読める。
【「こんな人生」鈴木孝之】
 文房具メーカー勤める松埜は、自分の商品企画が採用されないでいた時には、体調が悪かった。検査をしても異常はないと言われる。ところがその彼の企画が採用され大ヒットする。体調へ絶好調である。すると、そこで体内にはガンが巣食っていたことが判明する。手術し意識の快復しない彼は、子供たちに夢を与えた満足感から、微笑んでいる。人生の生きがいの教訓を物語にしているのだが、スピード感があって面白く読める。ドラマの原作にいいかも知れない。
【「道の向うへ」馬込太郎】
 自然に恵まれた農村地帯の高齢者の生活ぶりが描かれている。従兄弟が住んでいるところに自転車で行き、従兄弟の生活ぶりを老齢者の視線で眺める。体験からでたエピソードがどれも面白い。

2011年12月29日

「季刊遠近」44号(東京都練馬区)

<2011年12月29日(木)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>

季刊遠近第44号読後感(2011.12.29)北大井卓午

【「ノアの孤独」難波田節子】
 最初からトリビシ、アララト山といった聞きなれない言葉が出てきてちょっとまごつく。アルメニアも新聞などで見る程度で浅い知識しかない。聖書やノアの箱舟についての知識もほとんどない。こういった乏しい知識しか持ち合わせていない私のような読者でも、楽しく読める。作者の力量だろう。
 村井は商社勤めでワインの担当をしているが、現在年連れ添った妻と離婚訴訟中である。妻は子宮の奇形で子供を産めないのだが、ある宗教から原因は夫の罪による罰だといわれ、夫の入信を勧められる。村井は妻の悩みも分かるが、不妊で神経が壊れていく妻を煩わしくなってしまった。
 出張でトリビシ営業所に来た村井は、日程の調整ができ、アルメニア経由で帰ることにした。前回の出張で親切にしてくれたマシーとアララト山を一緒に見る機会を持つためである。マシーはアルメリア人で日本語と英語ができる数少ないガイドで、村井はマシーと一緒だと心が何となくときめく感じになる。グルジアの現地所長の秘書のニノが紹介してくれたという経緯もある。そのニノにアルメリアの国境まで送ってもらう。ニノとマシーは愛知万博のコーカサス館で一緒に働いていたという。アルメニアまで送って貰う車の中で、ニノとマシーが日本で初めて生活した時の習慣、文化の違いに驚いた話などを聞く。
 久しぶりに会ったマシーは元気そうだったが、少しやせた感じだった。作品は、マシーとの会話の中でノアの箱舟の話などが出てくる。作者の勉強した部分だろう。一般に、作者が勉強した知識を作品の中に未消化のままたくさん書きこまれると読むのが億劫になるが、この作品ではあまり嫌味が感じられない。
 マシーには日本に婚約者がいるのだが、婚約者は、東日本地震で両親と兄夫婦を一度に亡くし、今はその兄夫婦の子供3人と避難所で暮らしているという。そういう状態なので結婚を諦めることにしたらしい。一方、マシーにも高齢の父と脳に障害がある弟がいるという。
 村井はマシーに、兄夫婦の子供がもう少し大きくなったら、彼もこちらに移住してアルメニアにこれるかもしれないので待ちなさいというと、マシーもそうすると答える。
 全体の中でノアの箱舟の話が大きな比重を占めているが、今までこういった作品は読んだことがなかったので、面白く読めた。アルメニア人の生活習慣の中にノアの箱舟の話が本当にマシーと同じように入っているのかは知らないが、ノアに箱舟の話を中心に置き、東日本地震を洪水とダブらせたのはいい発想といっていい。私もインターネットでノアの箱舟を調べてみて、いろいろなことを勉強した。この作品の合評会に出席できなかったので、作者がどのような動機で書いたのか聞きそびれたが、東北地震のような巨大災害は必ず起きるという警鐘を含めて作品を読んだ。なお、箱舟の建造を命じられたのは、ノアが500~600歳であるといったことや現在でもタンカーなどの大型船の長さ、幅、高さは箱舟と同じ、30:5:3であることなどを考えると、近所の人や家族の思惑を現代の感覚で書く必要はなかったのではないか。技術のレベルの高さに触れてほしかった。

【「百日紅」安西昌原】
 父緑川浩二の一番下の妹の通夜に出席し、父の一番上の兄緑川叔郎の次女の啓子に会う。啓子の住まいが私と私鉄の沿線なので通夜、葬儀とも一緒に帰り、昔話をしたため、電車の乗車時間があまり苦にならなかった。
啓子の父緑川叔郎は化学工場を経営しており、昭和10年ごろから池上線の沿線に門先に見事な百日紅の木がある家に住んでいた。私たち家族は疎開先の前橋から、昭和22年夏から2年ほどその家に移り一緒に住むことになった。一家4人に与えられた部屋は2階の板の間付きの6畳間である。便所は共同だったが、台所は別で、使用を許されたのは井戸小屋でそこに七輪を置いて炊事、洗濯をすることになった。伯父の家族は伯父叔郎、妻郁子、長女陽子、次女啓子、長男昭、三女順子などで、私の家族はほかに弟悟がいる。
 私は啓子との会話で60年前のことを思い出し、釣りやキャッチボールの話をし、また、母の炊事が大変だったことなど恨みめいた話をしたが、啓子は昔をよく覚えていないと言い訳じみた口調で笑う。翌日の告別式の帰りの電車の中で、啓子は2人の母親同士が仲の悪かったことに触れた。その時不意にキャッチボールで私は昭の頭にボールを当て、大騒ぎになったことを思い出す。
このことがあってから共同生活の弊害を悟り、引っ越すことになる。
 エッセー風の作品で、誰もが、窮乏生活の中で共同して生きてきた戦後の辛さ、厳しさを書いており、作者と同年代の私には懐かしく読むことが出来た。しかし小説として読むと、ストーリーの中に入り込みにくい。小説としては、私はあまり評価しない。

【「どんどん橋」欅館弘二】
 作品は、最初から主人公の麦彦が新宿御苑の満天の星空の下で葉子と抱き合うところから始まる。葉子は、麦彦より4歳年上で池袋のアパートで12歳上の原田(作曲編曲作家でバンドマン)と暮らしている。葉子の父親は官選知事をし、その後国会議員になる。保守党の大物議員といわれている。葉子の母親は赤坂の芸者だったが、終戦の翌年病気で死ぬ。葉子は父親の蔭、ひなたの援護を受けて成長していくが、父に抱かれるようになる。
 いろいろ葉子のこと、葉子の父こと、原田などのことを書いているが、何を書こうとしているのかよく分からなかった。主人公が麦彦なのか、葉子なのかも分からなくなってしまった。もう少し書きたいことを整理して書くと面白い作品になったと思う。ちょっと残念だ。

【「口笛を吹いて大くじをくった」北村幹子】
 エッセーとして書いたのか、小説として書いたのかよく分からないが、小説の部分に掲載されているので小説として読む。
 昭和27年中学3年生の2学期が終わったときに、私が転校するところから物語が始まる。山口市の湯田中学に転校した。それまでは萩市からバスで1時間ほど奥の吉部村中学に在籍していた。その中学で2年のころから左翼かぶれになったこと、そして世界、中央公論、改造などを読み漁ったことなどが書かれている。湯田中学で、優等生総代にに選ばれ、また、県立山口高校に進学する。高校ではどの部に入って部活動をするか迷った。演劇部、新聞部、美術部などどの部にも魅力があったが、最後に決めたのは文芸部だった。また、校外のミール合唱団に姉と2人で入った。そこにはM青年がいた。そのM青年は党員らしい。その他高校時代にあまり勉強はしなかったが、試験の結果はよかったといったことが書いてある。高校を卒業後に徳山市に移ったが、就職試験は終わっていが、叔母の紹介で小学校の事務職に応募し、抜群の成績で合格する。
 ストーリーは自分史的で小説のように山場はない。小説であれば、学業の優秀さをひけらかすような書き方を止めて、読者が主人公に感情移入できるようなストーリーにしたほうがよかったのではないだろうか。自分史であれば、読者に読ませることを意識して書くといいと思う。

【「村暮らし」花島真樹子】
 友子、良男、ゆきさん(春野ゆき)の3人が登場人物の作品であるが、3人の背景がよく分かるように書いてあり、最後まで面白く読めた。
 友子は、3月11日の地震で、住んでいたU市の借家が見た目には分からないが、少し傾き、生活していると気分が悪くなる状態になった。引っ越そうと思い、不動産屋に行き、奥秩父の荒川沿いの小さな村の村名をいい、空き家がないか調べてもらうと、直ぐに見つかる。15年前に女4人でドライブ旅行をしたところで、不動産屋から渡された資料では、当時と変わっていない。2週間後にそこに行く。ローカル線の終点から20分ほどなので、歩いていく途中の道路脇の菜園で草むしりをしている老婆に声をかけると、家主となるゆきさんだった。家は、以前老夫婦と娘夫婦が住んでいた同一敷地に建つ2軒の家で、それぞれ独立しており、老夫婦が亡くなり売りに出されたものを、ゆきさんが5年ほど前に購入したという。老夫婦が住んでいたところにゆきさんが住み、娘夫婦が住んでいたところを貸すのだという。ゆきさんとの会話の中で「人間は所詮エトランジエールさ・・」といったゆきさんの言葉に彼女のインテリジェンスを感じ、直ぐに借りる決心をする。
 2年ほど同棲している良男に、家を探す際にこの村の話をすると、そんなところから通勤できなと反対されたが、実家に戻り、週末だけ来ればいいということで押し切る。
 ゆきさんは高校の教師だったが、狭い田舎が嫌で、夫と8歳の娘を置いて同僚と東京に逃げたという。結局男に捨てられ、塾の講師などをして生きてきたと話してくれた。
友子も小学校5年の時に母親が病死し、直ぐに父親が再婚したが、新しい母親に馴染めず、高校の時から下宿生活をしたという過去を引き摺っており、2年も一緒に暮らしている良男と結婚に踏み切れないといった臆病さを持っている。
 ストーリーに大きな山のようなものはないが、人間の生き方を考えさせられる何かを感じさせてくれた作品だった。これからもこのような作品を期待したい。

2011年12月26日

文芸同人誌「相模文芸」第23号-2-

2011年12月26日 (月)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

【「月橘の香り」登芳久】
 冒頭に松本清張の「半生の記」の抜粋があって「私は一人息子として生まれ、この両親に自分の生涯の大半を束縛された。少年時代には、親の溺愛から、十六歳頃からは家計の補助に、三十歳近くからは家庭と両親の世話で身動きできなかった」とある。
 話の中味は、亡くなった夫人との想い出で、良き理解者の伴侶を失った感慨に胸を打たれる。若さ溢れる時代を、瑞々しく思い出すのも切ないものがある。結局、人生の重心に親の面倒をみることがあるのは、日本の家長制度に沿って生き抜いた最後の世代になるのであろう。
 それはともかく、作者は著書もあってものを書くことで収入にしてきたが、ここえきて、同人誌にお金を出して書くという状況からも同人雑誌の存在意義を感じさせるものがある。
 たまたま、私は松本清張が菊池寛の作風にどれだけ影響を受けたかを、調べているので松本清張の「半生の記」を持っている。
 清張は、終戦後に朝鮮での兵役から引き揚げ、帰国した時に、次のように述べている。
「いま、私はたった一人であった。これから二里の道を歩いて両親や妻子の居る家に戻るのも、ひとりどこかに逃げて行くのも私の自由であった。なぜ、そんな考えが起こったのか」。それほど、日本の家長制度が重かったかである。同時に、安易な気分で、戦死をするわけにはいかなかったのであろう。
 自分自身でこれを考えれば、小学生の頃から家業の手伝いをさせされ、労働力として必要とされた。家業が廃業となると、働きに出て給料の一部を家に入れ、家計の足しにさせられた。定職に付かず、アルバイトをしながら大学に通うようになると、仕事が続かないことが多い。お金を入れないと、よく親から家計負担分を催促されたものだ。しかし、当時とは言え、本当に親は子供の稼いだ金を必要としていたのかどうか。その辺はわからない。ただ、そのことにより、お互いの存在について認め合う絆ができていたことは確かだ。その時代が健全で、現代が病んでいるということは間違いないが、それを意識できないほど重病な日本である。あれほど、親の溺愛からの自由を求めたように記す松本清張が、代表作「砂の器」では、家族の絆の切ない思いをテーマにしているのである。

2011年12月25日

「相模文芸」第23号-1-

12月25日 (日)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。
 本誌は、地域の総合文芸同人誌として、会員の拡大が続いているという。その運営に力を入れていた戸狩雅巳氏は、それを受けて今後は執筆活動に力を入れるという。

【「裁かれざる者」戸狩雅巳】
 国鉄労組時代の労働運動で、馘首された時の話。特定の時代を背景にし、短いものながら、エネルギーが出ている。過去の時代における臨場感なので、そういうこともあったな、と云う感慨にとどまるのだが、生活がかかった思想闘争の様子は迫力がある。ほかに「掌編帳」という作品がある。氏は昭和17年2月生まれだという。わたしも同年同月である。毎年、自分の誕生日近くになると、朝鮮半島の偉大な指導者の生誕記念パレードのニュースが流れるので、複雑な心境になったものだ。戸狩氏もわたしも偉大な指導者より、長生きしたことになる。来年は古希らしい。これを読んで知った。家の事情で上京したのか、させられたのか、「長いようで短い」という述懐がある。今後は創作に専念するそうだ。同い年である自分も偶然に同様のことを考えている。素直な実感が感じられる。

2011年12月22日

「奏」2011冬(静岡市)

12月22日 (木)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

【評伝「小川国夫―最終回」勝呂奏】
 評伝にもいろいろなスタイルがあるが、この連載では小川国夫の独特の文体の生まれた背景や経過を明らかにする姿勢があり、ものを書く人のための評伝という色合いが濃い点で興味が尽きない。読みやすさ、判りやすさがある。それは同時に、文芸になぜ純文学のジャンルが存在するか? というこだわりが含まれて、示唆されるものがある。
 小川国夫といえば短編作家であると思っていた。晩年の長編小説完成の話題にも、資質が変わったという程度の知識しかなかった。それがこの評伝によると「弱い神」というのは、ただの長編ではなく、「『試みの岸』と同様にフォークナーのヨクナ・パトファ・サーガを模した、駿河西岸を舞台にした壮大なフィクションの現場に、読者は参加することになったのである」という。
 そのあとに、三十代に本多秋五に「肯定」してもらったことの小川の喜びなどが、活き活きと記されている。
 栄光に照らされた作家の手法に、感心するというのは、お門違いであるが、自分は自分なりに「純文学というものが、短編で書き散らしただけで済むものか」という疑問があって、終りのない自分だけの小説の制作について考えていただけに、ひとつの制作法として、参考になった。
 要するに、純文学的表現における散文のどこが作文と異なるのかー、という現代では極めて曖昧になっている問題に、何か有力なヒントになるのではないかーーというのはわたしの勝手な感想である。
 同人雑誌に掲載された作品でも、それが文学なのか、ただの作文なのかを見分けるのは大変難しい。ひとつにはそれが短編であるためで、ある程度の長さをもってすればその本質が見えるような気もするのである。
 関連したコラムで、【プライティア・小川国夫「速い馬の流れ」雑考】があるが、小川国夫がどこをどのように推敲し、省略してしまうかが、丁寧に検証されており、いわゆる小説的な散文が、詩的散文に転化するぎりぎりのところに置かれていることがわかるので、興味深かった。本誌全体の構成作風に真摯に丹念に書く姿勢が、文芸の価値を形成しているのは確かである。
発行所=静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。

2011年11月13日

「小説藝術」54号(新座市)

2011年11月13日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「三島没後四十年」羽島善行】
 1970年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺をした。作者16歳の高校生だったという。三島が太宰治に批判的なことやその言動に共感があって、三島の代表作を読破したことから、改めて評論にしたものだという。傾倒するも無批判ではなく、精読して自立した視点を会得しており、文芸評論家の講演をきいても必ずしも賛同していない。
 その知見からの三島論なので秀逸。学ぶところが多く、有意義に読めた。
 三島は昭和34年5月の「群像」に「十八歳と三十四歳の肖像画」という寄稿があり、講談社の「美の襲撃」に収められている。そこでは自作について解説している。「仮面の告白」では、自分の気質を認め、それを敵として直面。抒情の利得、うそつきの利得、小説技術上の利得だけを引き出したのに耐えられなくなって、すべてを決算し、貸借対照表を作ろうとした、と述べている。
 三島の分析的な明晰さと日本民族的傾斜は、西欧の一元論を意識したところから出ているようだ。しかし、日本人として自同律・アイディンテティの合成ぶりが作品のつながりを混沌とさせている。自分にはその根元には、太宰に対し、民族的同質性をみたがゆえに反発する感性があるように思える。

【「断絶」美倉健治】
 母親が亡くなった知らせを聞いて「ついにクタバリやがったか」と、気の晴れた思いをすると語る息子の独白体。平談俗語体というか、日常用語のみで文学的表現をしようとする意欲が感じられる。
 その他、3・11震災に関する重みのある作品がいくつか。同人誌に読む震災記というのも評論のテーマになるかも知れない。
発行所=〒352-0032新座市新堀1-13-31、ホワイトハイツⅢ103号、竹森方。小説藝術社。

2011年11月12日

「海」(福岡市)第二期6号(通巻73号)

2011年11月12日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「虚空疾走」有森信二】
 詩人的素養の強い作者であるが、小説も巧い。わが身を思えば、感心ばかりしていても仕方がないが、事実である。主人公の昭夫が人生の憂さを酒にまぎらわしているところから、はじまる。友人の余命いくばくもない病気と残されるであろう家族の心配を身にかかえていることが判る。そこに電車に飛び込み自殺をはかる女を押し留める事件があり、家に泊めて結局は関係する。しかし、病は友人だけでなく自らにも及ぶ。人生の儚さと滅亡的なイロニーを表現の軸にすえて、激しい事件を織り込み、物語性でも彩りつけている。死に向かって残された時間を意識させることでハードボイルド的な緊張感をかもし出し読ませる。作品は、一定水準を保って量産を可能にする才気に満ちている。

【「イカロスを愛した女」牧草泉】
 結婚生活の円熟期にある弘子という主婦。学生時代に恋人だった男がいた。しかし、その時期には性格と将来展望の違いから、弘子は離別を決意している。その男は亡くなったが、彼の妻が、自分が弘子の代用品であったのではないか、との疑問を解きに弘子と会いたがってくる。
 そのなかで、結婚という結びつきが、社会的な名誉心や富などが絡んだものであって、純粋愛というものがどれだけそこにあるか、という問題意思をも示す語り口となっている。ロマン主義の作風である。ときどき話が横にそれるような運びで、それも味わいの一部になっている。

2011年11月11日

文芸同人誌「海」84号(三重県)

2011年11月11日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「昨日こそ」紺谷猛】
 主人公は、兼業農家であるが、周囲の農家が農業をやっていられなくて、田畑の維持を頼まれてしまう。頼んだ方は、任せきりで、やる気がなさそう。主人公の近所付き合いの良さや、兼業にしては作業が大変な様子がわかる。自分は定年退職近くで奥さんも働きに出ている。息子は大学の工学部を出たが、親の近くに居てほしいという腹の中を読み取って近隣の中堅機械メーカーに勤める。
 高齢の兼業農家の穏やかな日常が手際よく描かれていて、大変興味深い。息子は会社のベトナム進出で出かけるが、帰ってくるとベトナム人女性と結婚したいという。
 文学的にどうのというより、多様化する日本社会の現状の一例をこれだけすっきり描くのは、強靭で冷静な社会的な視点がなくては出来ないであろう。そこから生まれる文章のまろやかさがある。だから同人誌を読むのは面白いのである。
 本誌は、11月1日発行。到着したばかりのもの。先に到着したのが多くあるが、これは読み応えがあるので、印象の強いうちに書いて紹介する。
 同人募集もしていて、作品掲載料は1ページあたり3000円で、作品掲載誌5冊の配布をうける。別に5冊以上の購入が必要。「未熟と思われる作品は不掲載にする場合があります」とある。なるほどと納得。
発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。

2011年11月10日

「淡路島文学」第6号(兵庫県)特集号

2011年1月10日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「あんたどこの子」宇津木洋】
 30年以上前から残っていたマリつき歌のまくら話があって、その移り変わりをインターネットで調べて追跡する。その後は、いきらか変調して幼少時代に死別した父親の記憶につながり、味のある散文になっていく。
 ここではインターネットで検索することで、誰かの記録が日本人の記憶のように活用されるという仕組みに注目したい。ネットに蓄積された記録を書き手が利用して自分の概念を展開できる。それが独自のテーマの情報提供として興味を誘って面白い。
 ネットの特徴である素材事典性を活用することで、時代の流れを意識させ、自らの父親の趣味や人柄の追慕の表現の援用になっている。これが新しい試みになっているところに注目した。ネットは宇宙に浮かぶ断片的な他者の記憶を収めるもうひとつの頭脳である。それを取り込んでいるところが面白い。
 その他、鄭承博文学を語るー没後10周年特集―も、作家の存在と歴史が興味深く追慕されている。コラムでは「膳夫」ネームで原発事故のいきさつを早い時期に批判的に記している。
 6月発行のもので、遅くなったが、忘れることなく、記憶に残っているので紹介した。
 発行所=〒656-0016兵庫県洲本市下内膳272-2、北原方「淡路島文学同人会」。

佐久間慶子 『川向こうの預言者』

 「繋」6号

 雑誌を送っていただいてすぐに読み始めたが、じきに日常の多忙に紛れて中断し、この頃になってようやく読了した。ただし、末尾に「それぞれの修行編・了」と記されているので、そうか、これで終わりではなく、更に別の編が続くのだなと思うと感想が書きにくくなったが、楽しみが先送りされてわくわくもする。

 先ずは、「百花繚乱...」といい「川向こうの預言者」といい、佐久間さんて何てデフォルメされた存在としての人間を描くのが上手なんだと感心した。
 そしてこの二作を拝読しながら、1932年にアメリカで制作・公開された『フリークス』 (Freaks)という映画を思い出した。
 この映画は文字通りの肉体的畸形を負っている彼や彼女たちが主人公であったのだが、佐久間さんの「川向こうの預言者」に登場しているのは、そういう肉体的・物理的畸形を負った彼や彼女たちではない。
 いや、やや常識的数値を超えた肥満や痩せである彼女や彼が登場してはいるのだが、そんなことは問題ではない。これに近い肥満や痩せは現実に存在している。
 問題は、記録する者として選ばれた「わたし」が直面した、この宗教団体とも邪宗とも言えないほどの小さな怪しい宗教グループの構成員のひとりひとり、すなわち肥満体の「預言者デブリ」、あるいは今にも死にそうに痩せた「修行者ガリリ」、あるいはアリアドネーさながら独特の迷宮ダンスを踊る「神の踊り子フルフル」、意味があって無い言葉を発し連ねる「空洞詩人カラン」、そんな彼らがどことなくだが、決定的に普通の人間ではないことである。
 彼らは、映画「フリークス」の彼らのような肉体的・物理的畸形としてのフリークスでは決してない。けれども、彼らは人間という名の存在としては不確かな、畸形=フリークスである。
 にもかかわらずである。そんなフリークスな彼らが何と生き生きと描かれていることか。私が佐久間慶子さんを賛嘆するのは、このような現実には在りない畸形=フリークスとしての人間を活写していることである。
 一人でも多くの書き手=読み手に読んで欲しい小説であることは間違いない。

2011年9月14日

「彩雲」4号(浜松市)-1-

2011年9月14日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「別乾坤」寺本親平】
 地球上の生物の多くが、海の生物から進化したものだといわれているが、この作品も人類の祖先は魚とし、腕立て伏せをする魚の話題からはじまる。そこからリュウグウノツカイを気に入った絵師の驢馬人の話に発展する。話術の巧さに気をとられ、うかうかと読んでいくと、改行なしでみっちり書き込んだ文章で、長い話がつづく。飛躍しながらイリュージョンとして面白おかしく読み終わる。すると結局、日本人は海の民族であり、原始の時代からDNAに魚の遺伝子があって、仏教的な死生観、エロスを継承しながら生き抜いてきたのだなあ、と納得させられる。古典からの唱や経文の引用が、ピリッと利いている。
 なお、作者は「彩雲」3号に「幻燈一夜」を発表している。この作品は第8回関東同人雑誌交流会で、9月18日選考される全国同人雑誌最優秀賞「まほろば賞」のノミネート7作品のひとつに選ばれている。
【「奈落」大田清美】
 まず、自死の話がまくらにあり、それから美砂は子育てを一段落させて、人生のヤマ場も超え、五十路に足を踏み入れて更年期がはじまると、妖しく優しい友の招き声を思い出す。それは死への誘いである。そしてあの世の叔母さんの招きに誘導される。しかし、死の世界への扉の前で思い直し、引き返す。白日夢の時間を描く。人間の目的意識を失った時の空虚感を軸に、死の意識を身近な主婦感覚で表現しているのが面白く、目を見張った。
 この8月で94歳になった作家・伊藤桂一氏は、死んでもいいと思うと死の世界に入ってしまうので、まだやることがあって生きるのだという気持ちでいるから生きているのだ、という話をしてくれた。うっかりしていると人は死の世界に入ってしまうのかも知れない。「奈落」は一読すると、語り口のバランスの悪いところがあるが、本来は難解な哲学的な命題を含んでおり、身近なわかりやすい物語でありながら、ただの心霊談を越えたところに意義が感じられる。

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