2012年5月15日

胡壷・KOKO 11号

 感想が遅くなりました。

「渓と釣りを巡る短編Ⅲ 隠れ沢」桑村勝史
 これまで黙っていたが、この作者の渓流釣り小説をひそかに愛読してきている。
 小説というのは人間を描くものだと思っている者から見ると、この「渓と釣りを巡る短編」では、渓流や岩魚や滝つぼやらの自然を描くことに精力が費やされていて、人間はその背景のように書かれている。最初はそのことに違和感を感じていた。
 しかし、小説が必ずしも人間のみに焦点を合わせる必要はない。人間も岩魚も渓流も滝つぼも民宿のおじさんも、存在としては等価なのである。むしろ人間描写だけに囚われずに存在するものを並べて描こうとする作者の姿勢をよしとし、渓流のせせらぎ、岩魚の魚影を楽しめばよいのだと気づいた。この作者の才能は狭い視野の中に見える人間を描くことより、世界全体として、あるいはその一部としての渓流や釣りをみごとに描くことにあった。と、今回の「Ⅲ」でようやく思い知った。

「女子会をいたしましょう」 ひわきゆりこ
 日帰りバスツアーで知り合った、珠代、萌絵、私の三人が、その後集まって食事会をする、すなわち「女子会」をする様子が描かれている。その内容自体はいかにも現代風でよくある話になってしまうのだが、この作品の語り手というか視点となっている「私」だけでなく、珠代、萌絵の個性や生の来歴、そして今後をもきちんと提示するように描かれており、それがこの小説をしっかりと支えている。三人はもう多分二度と「女子会」で会うことはないだろうし、それぞれが個々の生を生きてゆく。
 先に評した桑村さんは、渓流や岩魚を描写することで逆に人間とは何か考えさせる。ひわきさんはその反対で人間そのものに視点を置いて直截的に描こうとしている。それも肯定的視点からである。

2012年5月14日

「海」(第二期)第7号(福岡市)

2012年5月14日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「赤い陽」有森信二】
 世界の文明国による第3次世界大戦と、大自然災害という二つの破局要素の中で、日本民族らしき男と異なる国の女性の恋人を描く。3・11の自然災害とそれをめぐる世界各国の対応をイメージの基礎に置いたのかも知れない。創造力をフルに発動させようという意欲が見られて、面白く読ませる。
 世界の情勢と国の社会体制の混乱、それと人間的な家族関係に絞って破局に陥る運命を描く。同人誌作品としては長いほうだが、この類の小説としてはエッセンスを集約した短編的なものにしかならない、破局小説として完成させるには長編にしなければならないことがわかる。
 たまたま、当会員の山川豊太郎氏が、暴動などで破壊された都市を漂流する長編小説(現在のタイトルは「繭(コクーン)version2」)執筆中で、その作品解説を予定していたので、比較文学的に読んだので興味深かった。

2012年5月 6日

「群系」第28号(東京)

2012年5月 5日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本号では特集「震災・戦争と文学」がある。どれも読みでがあって、読み終わらない。もともと「戦争と文学」をテーマにしてきたものが、たまたま大震災があったので時代性を盛り込んだものであろう。昨年春の蒲田の「文学フリマ」で大塚英志氏が、震災が起きたからといって文学精神や役割のような問題が、どうこうということはない、と話っていた。基本的にはそうだが、それぞれの視点からの現代と絡みあわせた評論は、ふうん。そうなんだと、どれも勉強になる。高校生時代の生徒として、切り口と料理法の手腕で読ませた昔の文芸雑誌の風情を残している。
 評論を読んでいると、日本の現代文学がこのような状況を見せている前にはこのようなことがあった、と羽織の裏生地を見せるようなところがある。裏生地のほうが立派で、お洒落に見えるのは、元禄時代に似ているかも。
【『文芸誌とメディアに観る「3・11」と過去の大災害』永野悟】
 災害や核の不安について、文学では表現されていて、読まれていないだけだ、という視点と、表現の価値が小説的なものからエッセイ的なものまで拡げた説を展開させている。自分はそれらを散文として包摂する案をもっているので、なるほどそうですかと、意を強くする。
【『伊藤桂一の「黄土の記憶」』野寄勉】
 最初は、これがあるから送られてきたのかな、と思って読んだ。じつに優れた解説で勉強になった。伊藤桂一氏は今年で95歳になると思う。いくばくかの薫陶をうけてきた自分なりに、文章を書くポイントを学んできたが、そのなかに物事を「詳しく書くと面白いのだよ」ということがある。これは外の物を詳しく書く精密デッサンが芸術になるという意味に取れるが、それだけではない。心のありさまを精密に描くと言葉の芸術になるという意味もあると思う。
 本欄の紹介でも、そこがあると良い作品として紹介する基準のひとつにしている。この評論では、その心の様子を描いたところを戦場における人間観に結び付けていて、ためになった。基本には精神の最高峰を求めて登りつつも、ニヒリズムの谷間に落ちずにいる世界観というか、そういうところにあるようだ。
【「シャーキャ・ノオト(1)-原始仏教残影―」古谷恭介】
 いまどきの新書の仏教案内本の浅薄なところを見るにつけ、こういうのを読むと懐かしくほっとする。「もう生まれか変わりたくない」というニヒリズムと、道を求めるロマンチズムの融合の原点がありそうだ。
 つぎはできるなら小説3篇についても触れたい。
        (紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

2012年5月 4日

「照葉樹二期」創刊号(通巻12号)(福岡市)

<2012年 5月 3日(木)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>

「照葉樹」が生まれ変わって「照葉樹二期」となった。水木怜さんが中心のようだ。随筆や詩も載せるという。創刊号(通巻12号)からいい作品が載っている。私は水木さんの作品を読んだだけだが、追って他の作品も読んでみたい。今回はまた的外れな感想かも知れないが、ここに載せることにした。

【「甘いリングの向こうに側に」水木怜】
 ベルサイユ通販のオペレーターの姫子(杉野姫子)を指名してくるクレーマーの小坂トヨは、クレーマーのブラックリストに載っており、「トヨばあさん」という有名人だ。そのトヨが今日も姫子に通販で購入した衣類の色でクレームをつけてきた。対応に苦労していると、主任の安藤が替わってくれた。安藤は36歳で姫子より8歳年上だ。安藤は簡単にカタを付け、姫子にその旨を連絡してくる。

 姫子が帰宅途中、博多駅近くのミスドの喫煙席でアイスコーヒーを飲んで一服していると、姫子の後ろの席で店員にクレームをつけている客がいる。トヨだった。姫子は、トヨに気付かれるのが嫌で帰ろうとしたとき、トヨがドーナツを気管にに詰まらせたらしく、苦しがる。姫子は急いで「トヨさん大丈夫ですか」と声をかけてしまった。結局、そのままトヨに誘われてトヨの家に行く。トヨの家は博多駅1丁目のビル街の裏の戸建て街にあった。古い建物だがいい家である。トヨは独り暮らしらしい。リビングの自分の居場所の周りにいろいろなものが置いてある。孫もいたらしい。

 安藤は、登山が好きで姫子を登山に連れて行く。大学時代は山岳部に所属していたという。下山途中に姫子は安藤に、ひょんなことからトヨに会い、自宅まで行ったこと、トヨは何か寂しさを感じさせる事情を抱えているらしいことを話した。安藤も何となくそれを感じていたという。

 トヨは相変わらず10日にあげず姫子に電話をかけてきたが、クレームではなく相談が多くなった。そのトヨが12月に入って電話で嬉しそうに孫の話をしたあと、姫子と買い物に行く約束をしたが、こなかった。2週間過ぎても電話もない。姫子は不吉な予感が閃き、心配になってトヨの家を訪ねる。トヨはいたが化粧っ気もない。、電気も点けていない暗いテーブルの隅には、小さなツリーが飾ってある。聞くと、娘の奈緒が冬馬を産んで1年もたたないうちに夫の正樹が亡くなり、夫の友人と深い関係になる。しかし、この男はチョッとしたことで暴力男に変身する。奈緒は、冬馬を連れて逃げてくるが、連れ戻されてしまう。弁護士などを使って別れることにしたが、その男は、今度は冬馬を連れて行ってしまい、結局奈緒も男のところに帰ることになる。

 姫子は、そんな話を聞いた後、帰るときにトヨさんから通販で購入した鍋セットを貰う。鍋料理なので安藤を自分のアパートに誘う。その話を安藤にする。その安藤の母の訃報を2月になってか聞く。
そんな時にトヨから姫子に電話があり、奈緒が男のDVにあい、怪我をしたという。姫子は安藤にトヨと奈緒のところに行って貰う。

 長い作品だが、読み易く、一気に読んだ。トヨを通して親、子、孫といった関係の難しい面、複雑な部分などいろいろ考えさせられた。DVの奥の部分が、この作品のように簡単に解決されるとは思わないが、しかし、このようなパターンもあり得るかもしれない。DV,、男女間の関係、家族などこの作品を読みながらいろいろ考えさせられた。とてもいい作品だと思う。

2012年5月 3日

「女子会をいたしましょう」(ひわきゆりこ)

  季刊「遠近」kitaohiさん(「文芸同人誌案内」掲示板より転載

 題名を見たとき、霞が関や丸の内のキャリア女性の女子会が頭に浮かんだ。ところが読んでみたら全く違う。

 珠代さん(亀田珠代、67歳)、萌絵ちゃん(南萌絵、20歳)、私(岩倉千沙、43歳)の3人は、商店街の福引の景品で当選した日帰りバスツアーで、偶然一緒になった1人参加の仲間で、昼食の焼き肉を食べたり、バスが案内する貸工場などで試食したりしているうちに打ち解けて親しくなる。帰り際に珠代さんから、よかったらこれからまた会わないか、という提案があった。3人は、お互いの携帯に名前、番号、アドレスを登録する。私は携帯に登録したが、彼女たちから連絡が来ない確率が高いと思っていた。

 私は、旅行社に勤務しており、父、母と住んでいるが、最近は母も結婚を勧めなくなった。そんな時、旅行社の客で、建築デザイン会社を経営している佐野さんと知り合う。彼は、奥さんと高校生、中学生の4人家族だ。私も彼も、お互い「都合のいい相手」として付き合っている感じだ。

 今まで携帯にメールや電話が入るのは佐野貴之だけだったが、珠代さんから初めてメールが入ってきた。萌絵ちゃんも来るので珠代さんの家に来ないかという。珠代さんに案内された家は、正面玄関の両開きガラスドアに擦れた金文字で「亀田醫院」と書かれているお化け屋敷のような家だった。珠代さんの家はお父さんが医者だったが心筋梗塞で亡くなり、母親も10年前に亡くなったという。珠代さんは、食事を用意しながら、こんなのが女子会っていうんでしょうと、とても嬉しそうだ。萌絵ちゃんは酔うと「努力しなくちゃ」と繰り返す。

 萌絵ちゃんは、高校生の時、バイト先の30歳の男性と付き合うようになり、妊娠する。彼の家に住むようになったが、DVで階段から蹴り落とされて流産し、家を追い出される。現在はコンビニの店員で、ワンルームマンションに住んでいる。萌絵ちゃんは、自分が人並でないので男ともうまくいかなかったと思い込んでいる。

 3人が打ち解けて親しくなったころ、萌絵ちゃんから、遠い街に彼と一緒に行くからというメールを最後に携帯が繋がらなくなった。萌絵ちゃんの新しい彼氏は、サラ金で借金をしているので、温泉旅館に住み込んで返すことにしたらしい。

 萌絵ちゃんは努力家だから大丈夫だと信じ、これからは珠代さんと2人で女子会をしながら萌絵ちゃんが帰ってくるのを待つことにする。私は佐野さんの電話を携帯に受信拒否の設定をした。

 この作者の作品を多く読んでいるが、どれも全く違う感じの作品で、作者の発想の豊かさ、才能の奥行の深さを感じさせられる。構成もしっかりしており、読後感がいい。題名の現代性から受ける感じと作品の内容の意外性がうまく溶け合っている。珠代さんは、神社の前で手を合わせる女性だと本人にいわせ、ガンに罹っているとしているが、作者が一番書きたかった女性ではないか。若い萌絵ちゃんが古い考え方の女性として書かれているのも面白い。「私」は傍観者だが、珠代さんの生き方に共鳴している感じだ。この作者の作品は、いつ読んでもいい。私の好きな作者だ。これからもどんどん作品を発表してほしい。

2012年4月26日

「札幌文学」第77号(札幌)

2012年4月25日 (水)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「あの呼ぶ声は」須崎隆志】
 出だし高台からみる光景の描写から始まる。しかも動的で、何かの物語の展開を予感させる手法に好感をもって、読み出した。すると、札幌の雑誌なのに、九州の半島が舞台になっている。クマゼミが鳴いている土地柄は確かに南のものである。ん?とますます興味を感じて読み進むと、大変良い作品であった。
 もともと文芸作品として技術を凝らした意欲的な小説なのであった。炭鉱に働いていた父親が、職業病である肺病になって病気と闘っている。子どもの頃に主人公は、近所の同病の炭鉱夫が、それで亡くなったのを知る。主人公は驚きで、無邪気に「大崎さんのおじさんが死んだ!」と父親に告げる。
 あとで、主人公は父親が家族のために「死んでたまるか」という気持ちで頑張っていたのになんという心無いことをしたのか、という自責の念がトラウマとなって主人公を苛む。本人はこれによって父親との関係の変化や、父親が亡くなって母と弟の関係も変質したと思い込む。切ない気持ちがよく伝わってくる。それが肉親からの愛情への飢餓感となり、こだわりから、独りで命がけの遠泳に挑む。傷つきやすい心が、父の心を無視したとなやまさせる。もうひとつ深みが欲しいk気にもさせるが、短編の構造に従っており、それも創造的な制作の意欲が見えているからこそのもの。
発行所=〒001-0034札幌市北区北三十四条西11丁目4-11-209、坂本方。
(紹介者:伊藤昭一「詩人回廊」編集人)

2012年4月18日

「胡壷・KOKO」第11号(福岡県)

2012年4月18日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「彗星観測」桑村勝士】
 大学の入学試験を終えて、その合否の結果待ちの高校生たち。ハレー彗星を見ようと友達仲間と望遠鏡で待ち構えるが、天候の都合が悪く、なかなかみることが出来ない。彗星は学生たちの青春時代の未来の指標のように、雲間に隠れて透視することができない。彗星を見るのに熱心だった友人は受験を失敗し、主人公は、大学受験に合格し、内でマドンナ的な彼女との交際の機会を手にする。彼の心の星はまたたいたのか。
 明確な描写力で、青春期のロマンと不安の同居したどこか傾きのある精神状態を描く。
【「女子会をいたしましょう」ひわきゆりこ】
 商店街の籤びきの景品に日帰りバスツアーがあり、それぞれの事情でそれに乗り合わせた3人の孤独感をもつ女性3人。主人公は両親と同居した40代、知り合ったのは、60代と20代の世代の異なる女性。それぞれの世代での女性のかかえる現代的な課題を、ソフトな文体で差し出す。物語の軸になるのは主人公が交際中の男性との関係。話の合間にそれとなく問題提起し、主人公が男性との関係にもちはじめた不毛感を暗示。、彼女が男性との関係を清算するところで終わる。
 これはこれでこの作者ならではの人間の生き方の表現法が発揮されている。商業性の追及なき純文学表現の独自追究の姿勢になりつつあるのかなと、なんとなく「グループ桂」の宇田本次郎氏の創作態度を意識させるものがある。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

2012年4月16日

「照葉樹」(二期)創刊号

2012年4月14日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「時の空間」瀬比亜零】
 時間は一方向に向うので、時系列という発想が出る。この小説はその時間の流れに亀裂ができて、昭一という主人公が20歳、30歳、40歳の存在時間の自分と情報交流ができてしまう。若い時の昭一が、恋人と別れるが、年代を経た自分と交流して、それを参考に考え方を変えて、幸せな人生を送るというもの。設定を工夫すると、平凡な話も面白く読めるということがわかる。ただ時系列の乱というか亀裂の使い方がどこか変なきがするが、まあ深く追求すべきものでもないかも。

【「甘いリングの向こう側」水木怜】
 衣料品の通信販売の会社に勤める姫子は、電話応対している。常連のクレーマのおばさんの電話にてこずる話から、おばさんのキャラクターを浮き彫りにしていく。基本的に人情話なのだが、従来のこの作者の印象からすると、かなり多作をしてきたようで、文脈に無駄がなくなった。書き込んだ結果無駄がなくなり読み易くなったように見える。市井の生活を描くのに、家族と精神的な距離ができた孤独な高齢者と家庭内暴力を組み合わせるなど、かなりドラマチックな仕掛けをつくる。下町人情小説物としては、芝居がかったところがある。舞台劇の脚本やTVドラマ向きの手法。ストーリーテラーの資質が見える。
 菊池寛は、小説と演劇のちがいについて、戯曲は劇薬的な激しい部分だけを取り出して舞台で演じるから演劇とされるという趣旨のことを説いている。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

2012年3月31日

「雑木林」第14号(枚方市)

2012年3月30日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「あきらめない続・二」井上正雄】
 冒頭は「妻の昌子が病院で意識不明になってからよみがえることなく二年半を過ぎた。その後の状況の手記である。」となっていて、その後の三年にわたる介護の記録である。介護をしながら筆者は、妻の元気だった頃の夢を良くみる。そして「退職後もいろいろボランティアの仕事で忙しかった。今にして思えばそんなことをするよりも、二人で世界を旅行して回った方がずっといい余暇にちがいないと残念に思うのだが今更しょうがない。」とし、介護の二人きりの時間を今までにない濃密な時間を過ごしていると感じるのである。その介護生活が詳しく述べられているのだが、何故か読みがいがある。そこには、人が生きることが何であるかが示されているからであろう。
【「白川正芳さんの世界」安芸宏子】
 09年に発行された「藝術百科」という本に文芸評論家の白川正芳氏の俳句が多く載っているという。白川氏の埴谷雄高の評論は読んでいるが、俳句は知らなかったので興味深かった。もののあわれをロマンチチックに明朗化する作風に人柄を感じさせるものがあり、よい解説に読めた。
【「青いコップ」村上節子】
 今年の夏に沼津の千本松の浜辺で青いコップを拾って机に置いている。すると、ロンドンで亡くなった息子の姿が甦る。失われた愛は、いつも心のなかに渦巻いて消え去ることがない。短いが哀愁に満ちた詩的散文である。
                  (紹介者・伊藤昭一「詩人回廊」編集者)

2012年3月26日

「アピ」2号(茨城県笠間市)

2012年3月25日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「末期がん」篠垤(しのづか)潔】
 がんの余命と医師の宣告について、医師が病状観測を患者に告げなかったので、患者が死期を知らずに過ごしたことについての裁判があったことの話から始まる。
 筆者は、1944年に広島で生まれ、広島原爆零歳被爆者で、現在、広島原爆特別養護ホームに入園している。その境遇からのレポートである。
 それによると、筆者は、
「1996年(平成8年)に肺がんの告知を受け、治療法を求め5つの病院で診察を受けた。重度の心臓機能障害があり、初期がんだが、外科治療法をはじめまったく治療法がないとされる。
 さらに肺がんでも治療方法の異なる小細胞がんか、非小細胞かの確定診断に必要な気管肢内視鏡検査や針細胞診断もできないという。仮に可能とする治療法があったとしても何も出来ないのだ。
 幸い私の肺がんは肺内転移だけで、がん細胞の石灰化による壊死が一部認められ告知から15年が経つ。
 医学でいう5年生存率の観点からすれば治癒したと見なされる。しかし、私の肺がんは白血球が1万を超え、肺内転移の範囲は広く末期がんに近い病状になってきた」とし、
さらに「零歳被曝者の私にとってがんの発症は原爆放射線後障害の疑いは拭えない」という感想を記す。
 このような境遇からの表現の場というのは、日本の同人雑誌ならではの役割りを示している。とくに零歳児で放射能被曝をしたという点が、現在の福島第一原発事故以来、関心を呼んでいる放射能被害についての貴重な記録に思える。篠垤(しのづか)さんは、肺がんが原爆放射能の影響と考えているらしいが、その前の重度の心臓機能障害がすでに放射能の影響なのではないか、という推測が可能なような気がする。
発行所=309-1722茨城県笠間市平町1884-190、文学を愛する会。
 《参考》なお、放射能被曝の人体への影響については、少量なら良い影響があるというラッキー博士の研究<   玉川温泉のがん患者と「ホルミシス効果」の関係>や、それが重大な悪影響があるという<バンダジェフスキー博士の警告>研究がある。

2012年3月21日

「照葉樹」二期(創刊号)福岡市

2012年3月20日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「変成自分史~中年バックパッカー独り旅・南米編Ⅰ」西村弘之】
 ペルーのマチュピチュを目的に、ダラス空港経由でサンパウロに向う。その面白さや良さを紹介するには、写し書きすることになるので、しないが、とにかくお勧め。旅行記として、臨場感もあるがそれにプラスする歯切れの良い文章力。旅行記で久しぶりに地味ながらの才気というか、良い表現力で魅力的な読み物に出会った。これまで相当書き溜めたものがあるのではないか。タイトルが同人誌的で自分の気持ち優先だが、読ませてやるというタイトルにすれば、広く読者を獲得できるような感じを受けた。
(紹介者・伊藤昭一「詩人回廊」)

2012年3月19日

「R&W」11号(愛知県)

2012年3月18日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は「朝日カルチャーセンター」の教室仲間で、藤田充伯講師の受講者たちの研修成果を問うもの。昨年10号の発行時点で、地域の公的な補助金が出るようなったとある。東京では考えられないことで、愛知県ならではのことであろう。目を通していたが、紹介する余裕が持てなかった。10号から藤田充伯講師がエッセイを書いている。落ち着いた筆致で、読ませて印象に残るものである。
【「雨音」霧関忍】
 吉本隆明の亡くなる前に書かれたものであるが、全共闘時代の活動家の話である。主人公の友人で、活動家でなかった男が、主人公の男の部屋にいたので、鉄パイプで活動家のセクト争いのゲバ襲撃を受けてしまう。主人公は友人が死んだものと思い、その襲撃に自分が絡んでいること隠すように細工する。ところが友人は、意識不明の重態ではあったが、死んでいなかった。そこで、主人公の正体......とミステリー風になるのだが、これは小説だが、この時代はゲバ襲撃で死んだり、身体障害者になったりした者が多く出た。経済成長時代の光の部分と裏の暗部である学生革命活動を題材に、論理とは無関係な情念に動かされ、時代に押しつぶされた世代を描く。あれは何であったのかと、感慨深いものがある。
 発行所=〒480―1179愛知県長久手上井堀82-1、渡辺方「R&Wの会」
(紹介者・伊藤昭一「詩人回廊」)

2012年3月18日

「構想」第51号(長野県東御市)

2012年3月17日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「神話入門」畠山拓】
 生活のなかで文学がどのようなポジションにあるのか。この作品では、主人公の精神構造に占める様相が自由闊達な筆致で表現されている。55歳の男と35歳の女との付き合いに生じる空気を文学作品引用を活用して、抽象化している。イザナギとイザナミの日本神話から、ドストエフスキー「地下生活者の手記」、バルザック「サラジーヌ」「セラフィタ」、バージニア・ウルフ「オーランド」、大江健三郎、澁澤龍彦「夢の宇宙誌」、プラトーン「饗宴」、カミユ「シーシュポスの神話」「異邦人」「ペスト」などを登場させて、味付けを利かせて楽しませる。
【「大逆事件の発端」崎村裕】
 崎村裕・著「百年後の友へ~小説・大逆事件の新村忠雄」(かもがわ出版)を刊行した作者。官憲が幸徳秋水を抹殺する手段として、その発端となった人物、宮下太吉の無計画性に富んだ行動、気まぐれと同居した実行力を、丹念に調べ、人間性へのミステリアスな語り口で追究する。とにかく興味を誘って眼を離させない。現代では、時代の空気が異なるために、なかなか理解しにくい微妙な部分を提示して、文学的な説得力がある。
 発行=〒389-0504長野県東御市海善寺854-98「構想の会」
(紹介者・伊藤昭一「詩人回廊」)

2012年3月12日

『ふくやま文学24号』広島県

<2012年 3月11日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:「クレーン」和田伸一郎>

【「うずみ」中山茅集子】
「うずみ」とは、備後(びんご)(広島県東部)の郷土食で、かつて領主が節約令を敷いたとき、椀の底に入れた具を上から飯をかぶせて隠すもので、「松茸、野菜、海老、豆腐が入り、薄味の汁と共に椀に入れ炊き立ての飯をかぶせてから柚子の一片をのせる」ものだそうだ。
 それがレトルトとなり、「町おこしの目玉として浮上してきた」ことを知り、「女」は敗戦直後に「うずみ」を食べた体験をよみがえらせる。
 「女」の夫はニューギニアからの帰還兵で、「あの島には大きな川があって、その川の両岸に累累と魚が打ち上げられていると見たのは餓死した兵隊たち」であり、「地獄の亡者は、生きて故国に帰った夫の背中に張り付いている」という状態だった。
 この小説を複雑にしているのは、「女」の精霊が登場してきて幻想の世界へと導くからだ。夫は飢えをしのぐため、「子を食うた!赤子も食うた!」と母親とセックスしながら告白する。それは懺悔を行うための原始宗教の儀式のように描かれている。息子の背負っているものを吐き出させ、楽にしてやるための母性愛。その母親が「女」の精霊によっていつの間にか「女」と入れ替わる。
 戦争の傷跡が人間の心の奥深く、後々まで残り続けることを現代によみがえらせた作品として読んだ。

2012年1月14日

「文芸中部」88号(東海市)

2012年1月14日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 東日本大震災によって、文芸の世界ではそれをどう表現するかが、話題にされる。それは当然でもあるが、もっと重要なのは大災害を体験したひとはもとより、それを見聞した読者の読み方がどう変わるかであろう。読む側の意識変化が書き手の表現への感受性や評価を変えることは充分考えられる。
【「青空」西澤しのぶ】
 長いイスラエル勤務の夫をもつ主人公(私)は、息子をパレスチナに近いイスラエルで産んでいる。そこで新しい生命である子供に対する地元の深い愛情と思い入れを知る。そのなかで、人々が宗教、人種、領土などでの、緊張関係を感じさせる説明がある。
 日本に行って戻ってきる途中に、私はパリに泊まる。すると、アラブ人のヘジャブ姿の女性に出会う。お腹が大きいように見える。
 この描き方で、大変な緊張感をもたす。テロリストのある典型的な様相でもあるからだ。
 私は、思い切って彼女に声をかける。私がイスラエルとパレスチナの地域に詳しく、共通の知り合いの医師がいるとわかると、アラブの女はそこで身の上話をする。
 彼女にはイスラエル人の恋人とも親友とも言える友達ができ、彼はパレスチナ人との話し合いによる問題解決を考える思想家であった。紛争が起きると、彼女にイスラエル側からの攻撃があることを知らせ、避難するように連絡をしてくる。
 そこで、戦火のなかで日々明日を知れ命がけの毎日を送ることが語られる。恐怖と隣あわせの日々が臨場感をもって、よく表現されている。
 この砲撃を受ける様子の描写は、まるでハリウッド戦争映画かハードボイルド小説のようなスリルを与えるように思わせる。しかし、自然災害の暴力的な被害を知ると、それより自然な感じで、身に迫って読ませる。
 小説としては、もっと工夫があっても良いとは思わせながら、書くべきことを書いたという作者の達成感もよく伝わってくる。この明日をも知れぬ日々の感覚は、自然災害の大地震の余震と次の原発事故の発生の予感におびえて暮らす生活と比較させられる。かつて平和と思い込んで暮していた読者側の読み方を変えるものがあるのではないか。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。

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